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2007.12.07

ムンク展に行ってきました

昨日のレコメンで、三馬鹿勢ぞろい&すばるくんが「聖闘士星矢」主題歌を歌ったと聞いて、かなり気になっております。懐かしいなあ、「聖闘士星矢」。昔、自分の周りでえらく流行っていました、いや、自分も好きでしたが。すごく好きだったんだけど、「聖闘士には同じ技は2度は通用しない」の原則が主人公サイドにのみ都合よく適用されているのが気になって仕方ありませんでした。少年漫画につっこむなと思われるかもしれませんが、つっこんでいた当時、自分、子どもだったから。

おととい、上野の国立西洋美術館で開催中の「ムンク展」を見に行きました。上野はうちからは遠いので、上野にある美術館で開催される企画展は、それほど絵画に興味があるわけでもなく造詣が深いわけでもない自分は滅多に行くことはないのですが、たまたま通勤途中の電車の中で見かけたムンク展のポスターの「不安」になんだか知りませんがものすごく心惹かれてしまってムンク展に行きたくてたまらなくなるという、自分にしてはまれに見る経験をしましたので、行くことにしたわけです。まれに見るというか、初体験ですね、今までの人生で絵画に何らかの形で心を動かされたり深く感動したりしたことが全くと言っていいほどないので。あの絵見てあんなに心惹かれるなんて、あれかな、疲れていたのかな、やっぱり。いろいろ体調悪かったし。ブログでは元気にミーハーしていましたが。まあ、その程度の体調の悪さということですが。

まあ、実際にはそれから数日経って行ったので、大分テンションが落ち着いてから行ったわけなんですけれども、個人的にはとても面白かったです、上野まで行って良かったです。以下、上でも書いたように絵画に特に興味があるわけでもなく造詣が深いわけでもなく、ムンクに関しても、「思春期」と「叫び」しか知らない超ムンク初心者の感想です。

今回のムンク展は、ムンクの絵画の「装飾性」にポイントを置いたものだそうです。なんか自分の作品の中でも最も中心的な作品(有名な「叫び」も含まれます)に『生命のフリーズ』という名をつけて、それ全体を一つの作品と考えていたそうで、しかもムンク自身、これを装飾的な絵画として位置づけていて、その『生命のフリーズ』を壁に帯状に並べた建物(彼曰く「芸術の礼拝堂」)を作ることを夢見て、何度も自分の作品を実際に並べてみたりしたそうです(その写真も残っています)。ムンクはほかにもいろいろな装飾目的の絵画を手がけていて、個人の邸宅や劇場、大学の講堂や工場の食堂、市庁舎の壁画用の絵(またはその習作)を残しています(実際には構想のみで終わったものもありますが)。

ムンクの超初心者の自分は、この人は、何かを主張したり訴えたりする手段としての絵画を描く人だと思っていましたから、装飾画家としての側面も持っていたとは意外でした。絵のタイプは「思春期」のようなちょっと写実的なものと「叫び」のような表現重視のデフォルメされたものに大体二分されるようですけれど、思いのほか明るい色使いや明るいテーマのものが多いということも今回の展示で初めて知りました(もちろん、「死臭」のような“景気の良い”テーマのものもいくつもありますが)。もっとも、展示を見た後に、美術館で売っていたムンクの一般の画集を見たら、この展示を見て感じたムンクの作品の特徴というか個性が、必ずしも当てはまらなかったので、この展示はあくまでムンクの中での「例外」を、殊更にクローズアップしたものではないかと思います。

この展示では、『生命のフリーズ』シリーズを中心に、個人住宅の装飾や、ベルリン小劇場、フレイア・チョコレート工場の食堂、オスロ大学講堂、オスロ市庁舎の壁画をそれぞれコーナーにわけて展示してありました。『生命のフリーズ』に関しては、一連の作品としての連続性とか関連性が自分にはよく分からなかったので、イマイチ一つの作品としての何かを感じることはなかったです、まあ、そういう見方をするものではないのかもしれませんが。

この『生命のフリーズ』が一番面白くて、自分でも意外なほど熱心に見入ってしまったのですが、思ったのが、どんな暗い絵でも、必ずこの人は「赤」を入れるんですね、しかもちょっと朱色がかった赤色が。それが、時に絵に明るさをもたらし、時に不気味さを加えているのですが、とにかく、どんな作品にも小さくでも赤が入っているのが印象に残りました。

自分の中でとりわけ印象に残った作品は「病める子供」と「不安」です。「病める子供」はベッドに半身を起こした状態で入っている病気の少女とその子の手をとってうなだれる母親らしき女性の絵で、それはもう、暗い色彩の暗い気が滅入りそうな絵なんですけど、なんというか、母親は少女の死を予感して絶望し、少女は自分の死の運命よりもその母親の絶望を悲しんでいる、そういう、お互いに対する思いやりと深い愛情が伝わってくる絵なんですよ、まあ、これはあくまで私ヴィジョンの私解釈なんですが。決して写実的ではないのに(「叫び」系よりはずっと写実的ですが)、もしかしてそれゆえかもしれないですが、非常に感情移入した1枚でした。

そして、今回行くきっかけをくれた「不安」ですね。この絵、ほかの「叫び」や「絶望」などの「ザ・ムンク」な絵の中でも特に強烈に自己主張のある、というか見ている人間の感情に直接作用してくる絵だと思います。絵だけで完結しているのではなく、絵とタイトル、そしてこれを見た人が受ける心理的なインパクト、これが合わさって「不安」という作品になる、そういう作品だと思いました。

というのも、登場人物に「不安」感を感じないんですね、彼らの顔は生気がなく無表情で、感情も自分の意思もなく、当然不安を抱えているようにも見えず、ただ機械的にこちらに向かって歩いている。そうしてそういう人の群れが延々と続いている。感情や思考が伝わってこない人間に対しては誰もがなんらかの恐怖感とか気味の悪さとか「不安」とかを感じると思うのですが、そういう人間に対峙したときのような感覚を、見ている側が覚える絵だと思います。そして、彼らがどこから来てどうなってしまうのか全く読めない世界観が、それに拍車をかけます。描かれている人物が「不安」なのではなくて、その世界が「不安」なのでもなく、見ている側が「不安」になる、見ている人間に「不安」を与える、それゆえに「不安」とタイトル付けられた絵のように、私は思いました、あくまで私ヴィジョンの私解釈ですが(そういう意味では、「叫び」や「絶望」は絵だけで完結しているんですよね。だからちょっと個性的な、でも普通の絵なんです、あくまで。これも私解釈ですから、あくまで)。先にも書いたように、今まで自分は絵画で感情を揺らされたことのない人間ですので、この絵が初めて私の感情に直接働きかけた絵となったわけで、そういう意味でも特に印象に残った一枚です。

自分は、絵画に関しては、画家の技術を楽しめる写実的なしかも美しい絵が好きですが、ムンクの中では写実的な、市庁舎の壁画用の労働者の絵には全く惹かれませんでした。市庁舎の壁画は展示の最後だったので、疲れてきたというのもありますが、「ムンクである必要がない」と思ったからです。1890年代に主に書かれた、ムンクの強烈な個性と主張が感じられる「ザ・ムンク」な絵の魅力のあとでは、本当に味気なく感じました。何かの描写としての絵ではなく、主張の手段としての絵に惚れるというのは初体験です。基本的に自分は絵にはそれほど強い興味があるわけではないので、これをきっかけにどうのというのはありませんが、新しい絵の見方を示してくれた作品展でした。

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