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2007.03.17

スミ・ジョーのコンサートに行ってきました

ほとんど時差がないオーストラリアで午後に行われたF1グランプリ第1戦の予選は当然結果が出ているわけで、今年も地上波放送をたよりにF1観戦をするつもりの自分は、うっかり結果を見てしまわないよう、細心の注意を払いながらネットサーフィンをやっている次第であります(F1の予選のテレビ放送は真夜中)。F1サイトなんて見ないときには全く見ないのに、こういうときに限ってつい履歴のF1サイトのアドレスをクリックしそうになるのはどういうからくりなんでしょうか。

まあ、そんなことはどうでもいいのです、いや、どうでもよくはないんだけど、今日のブログの本題に入ります。今日は、東京オペラシティコンサートホールに、韓国のソプラノ、スミ・ジョーのソロリサイタルを聴きに行ってきました。この前のエヴァ・メイ同様、ピアノ伴奏(ヴィンチェンツォ・スカレーラ)のみで、イタリア語のオペラ・アリア中心のプログラム(13曲)、アンコールも6曲ほど歌ってくれました。

とにかく素晴らしかったです。その一言に尽きます。華やかで艶のある美声で、特にヴィヴァルディの「私は妻としてさげすまれ」やシュトラウスの「レモンの花咲くところ」での歌声はエコーがかかっているようなとてもきれいな響きがして、出来るものならこのまま小さな瓶にでも歌声を閉じ込めて持って帰りたい気分でした。あの声を聴いているだけで幸せでしたよ、本当。そして、ほとんどの曲にコロラトゥーラやコロラトゥーラっぽいアレンジがついていましたが、超高音部分であろうと、聴いているこちらが息苦しくなるほど長く続く部分であろうと、緩急強弱をつけながら、正確にぶれることなくこなして、聴きごたえがありました。とにかく、耳をひきつける華やかな歌唱で、美しくも迫力ある素晴らしい歌声と正確で華やかなコロラトゥーラの超絶技巧に、コロラトゥーラ・ソプラノの真骨頂を見た思いでした。体調悪かったけど、行って良かった・・・(嬉し涙)。

そういえば、ヘンデルの「涙のながるるままに」も演目にあったのですが、これに関しては自分、エヴァ・メイ・ヴァージョンの方がより感動しました(まあ、正確に言うと、エヴァ・メイのはリナルドではないんですけれども)。もちろん、どんどん歌が進むにつれ華やかな装飾が旋律に加わるスミ・ジョーの「涙のながるるままに」もすさまじく素晴らしいのですが、あの艶のある声質と華やかさが、感動するには曲を明るくしすぎたのかもしれません、私にとっては。と言っても、ヴィヴァルディの歌劇「バヤゼット」の「私は妻としてさげすまれ」やベッリーニの歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」の「ああ、幾たびか」での、寂しげな旋律を切々と歌ったときの、あのなんとも哀愁のある美しい歌声に心底感動したので、そうですね、あの曲に関しては、エヴァ・メイ・ヴァージョンがより一層私の感性に合っていたということです。

とにかく素晴らしい歌でしたが、キャラクターも気さくでサービス精神に富んでいて良かったです。ピアノ伴奏のスカレーラとは仲が良いのか、曲が終わる毎の観客への会釈や歌の合間に袖にひっこむとき、アンコールの時の曲選びの相談をするときの、二人の間でのちょっとしたやりとりが親しげで良い雰囲気でした。演奏ももちろん息がぴったりで良かったです。アンコールで、ホフマンの、題名とか知りませんが、人形に扮して歌うあれをやったのですが(すみません、これを書いている人はとにかく初心者なので、こんな書き方しかできないのです)、途中で人形になりきっているスミ・ジョーが動きを止めていまうと、スカレーラがピアノから立ち上がって背中にあるらしい見えないぜんまいを巻くのですが、巻き足りないままピアノに戻ってしまったようでスミ・ジョーが動かず、もう一度スカレーラが立ち上がって巻きにいっていました。こう書くと面白みも何もありませんが、実際に見ているとこの一連が笑えるのです。この人形の歌の時のスミ・ジョーは最高にノリノリでコミカルで、歌い終わってからも人形の動き(体をしゃちこばらせたまま、かたかた小刻みに揺れながらちょこちょこ小幅でせわしなく歩く)で退場していき、会場の笑いを誘っていました。

アンコールは、終演後に曲目が発表されていなかったので正確にはわからないのですが、上記ホフマン以外に、プッチーニの「私のお父さん」、ガーシュインの「サマー・タイム」、他数曲を歌ってくれました(全部で6曲くらい)。どれも全開で歌ってくれましたが、それでもまだまだいけると思うほど、アンコールの拍手をすることに心理的抵抗を覚えないほど、最後まで歌声に疲れとか衰えとかが感じられませんでした。

とても良いリサイタルだったのですが、非常に残念だったことがあります。観客の拍手のタイミングです。ピアノ伴奏がまだ終わっていないのみならず、彼女の歌声もまだ消えていないうちから、拍手を入れる人が多く、しかも後半の曲になるほど入れるタイミングが早くなって、歌の余韻も楽しめず、演奏者に対しても失礼な感じがして(自分はクラシック初心者だから、拍手のタイミングが早いのがマナーとして実際のところはどうなのか知りませんが)、気分がよくありませんでした。ホフマンの人形の時など、曲の途中の見せ場に拍手が入ってしまってよく聞こえなかったりしましたが、手品やサーカスと違うのだから、いくらすごいからといってその場で拍手をするべき類のものではないと思うのですが。まだ、きちんと歌が終わってから拍手が入っていた最初のころの歌で、スミ・ジョーが、最後の一音を長いことぶれることなくこともなげに伸ばし続けるのを聴いて「すごいなあ」と感心したのですが、早くに拍手が入るものだから、後の方の歌ではあまり長く伸ばし続けることもなくなり、それにもがっかりでした。

なんだか愚痴めいてしまって申し訳ないですが、今日の観客には本当に参りました。それでも、上手な伴奏、歌い手と伴奏者の感じの良さと息の合ったやりとり、そして何よりスミ・ジョーの素晴らしい歌声のおかげで、後味良く会場を後にできました。

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コメント

コンサート、私も行きました。
ホフマンの曲はとても面白くてウケていましたねー!
拍手のタイミングですが、私も同じように感じました。
私はピアノをやっているのですが、
ピアノではあんな拍手のタイミングはまずないですよ。
以前、有名ピアニストの演奏会でもやはり拍手のタイミングが早くて
ピアニストがため息をついていたことがありました。
スミジョーも、ファン層が幅広いので知らずに
途中で拍手をするファンもいるんでしょうね。

投稿: 通りすがりのピアニスト | 2007.03.18 17:58

通りすがりのピアニストさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

私が今まで行ったコンサートでも、楽器や歌が完全に終わって一瞬静かになってからわあっと拍手が起こるというパターンばかりだったので、今回びっくりしましたが、こういうケースが他にもあったんですね。
確かに、早く拍手をする観客は、知らずにただ一秒でも早く拍手を送って演奏者を称えたいだけなのだと思いますが、そのために演奏者にため息をつかせてしまっては逆効果ですね。
私自身がクラシックの初心者で、時々拍手をするべきかどうかがわからないとき(楽章と楽章の間の小休止時など)があるので、拍手のタイミングも結構難しいなとは思いますが・・・。

投稿: 雪の子キノコ | 2007.03.18 23:06

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